新年早々意味不明な日記
令和6年能登半島地震が起きました。
新年から大変な状況になってしまった方々のことを思うと苦しいです。
東日本大震災の時、私が住んでいる茨城県も大きく揺れ、被災しました。
妹とを抱きしめて、立っていられないほどの大きな揺れに二人で耐えた記憶が蘇ります。
家が倒壊していたら、確実に妹と二人家の外壁に押しつぶされ死んでいたと思います。
「震度7」
東日本大震災の時聞いたときは、「は?震度7って何??」って聞きなれない震度数値にびっくりしたことを覚えていますが、今、「震度7」って当たり前すぎて、驚きもしなくなりました。
てか、最近”震度”への感覚みなさんバグってきてません??
「わー結構揺れたなー」って思う揺れでも、震度3っだたり。
「これは、確実震度5以上だ」って思った揺れでも、震度4とか。
私の感覚がおかしいかもですが、震度(揺れ)に対して許容範囲が広くなりつつある。
つまり、揺れに対して鈍くなっている?ような気がする。
それが良いのか悪いのかわかりませんが、なんか最近、震度について、自分の感覚を世間の感覚がずれているように感じます。
そんなことはどうでもいいのですが、
今後も自然災害なんてたくさん起きると思います。
いつ、自分が被災するかもわかりません。もしかしたら死んでしまうかもしれない。
だから、いつ死んでもいいと思えるように生きていた方がよいのでは?と個人的に思うのです。
今を生きましょう!
日本では、自然災害に苦しんでいますが、一方で世界では戦争をして人間同士が殺しあっている。
自然災害はどうしようもない、受け入れるしかないなーって思える気がしますが、戦争は何とかならないのでしょうか?
難しい話は私にはわからないです。
いろいろな人の思いがぶつかっているんだと思います。
でも、そこに巻き込まれる方々の思いにももっと耳を傾けても良いのではないでしょうか。
何より、私より若い人、幼い子どもたちが、死んでいくのがつらいです。
そして、大切な人を失って残された方々のことを思うとさらにつらいです。
戦わない、殺さないで世界を作ることは不可能なのでしょうか。
偽善者のような物言いになってしまいました。
そんなことを思いながら、私は自分の手の届く範囲で、自分を生きることに必死なわけで、非力な人間です。
なんだか、何を書きたいのかわからないです。
いや、最初からこれを書こうと思って書き始めることはないのですが、なんとなく書くかーで始まるブログなので、終着点迷子はご容赦ください。