一日一日を大切にする心がけ。

一日をどう生きるか。

楽に生きたい。”常識”という縛り。

 

愚痴と私の考えを書きます。

文章全然まとまってないので、読みづらいかと思います。すみません(;^ω^)

でも、書きたかったんです。

 

 

 

常日頃、自分はどうしたいのだろう??と考えることがある。

 

その都度、まっさきに思い浮かぶ言葉がある。

 

それは、「頑張りたくない。嫌なことはしたくない。」ということ。

 

めちゃくちゃ普通。

 

私は、昔から”努力”という言葉があまり好きではない。

 

努力を期待されることも、努力を求めることも、、。

 

ただ、楽をして生きていきたい。

 

毎日、ただただ平穏に。

 

物欲もそれほどある訳でもないし、おいしい物が食べたいとかもない。

 

毎日、YouTubeを見たり、本を読んだり、漫画を読んだり、amazonプライムで映画を観たり、家族とドライブに行ったり、友達とファミレスで何時間もおしゃべりしたり、一人カラオケに行ったりできれば十分です。(中にはこれも贅沢だと思う方がいるかもしれないが…。)

 

 

本当は、長時間の労働も嫌だし、毎日、決められた時間に職場に行かななくてはいけないことも嫌です。でも、労働すること自体は嫌いではないです。無理して頑張ってまで労働をしたくないということです。

 

好きな時に、どこにでも行けて、好きな時に好きな人と会って、好きな時にご飯を食べて、好きな時に寝る。そんな生活をしたいです。

 

”努力”という言葉が好きではないといいましたが、”頑張る”って言葉もあまり好きではないです。

 

「頑張る」って簡単に言いますが、そもそも”頑張っている”の基準って人それぞれだと思います。

私にとっては頑張っているつもりでも、他人から見たらそれほどでもなく、もっと頑張れよってなる。意味が分からない。私にとってはそれが精いっぱいだってのに。

 

逆に、私も他人に同じようなことをしているのかも。と思うことがあるので、上記のようなことは口に出したりはしませんが、内心はしんどい。

 

私は、「人は人、自分は自分」だと思うようにしており、それはいい傾向だとも思う。一方で、時にそれは良い方向に働かないこともあります。

良い方向にならないときとは、割り切りすぎてしまうとき。「あの人はこう考えるんだー。」では済まない時です。

それはどういう時かと言うと、”常識”ってやつが出てくる時。

Aさんの常識とBさんの常識、同じ常識という言葉だけど、中身はだいぶ違う。この場合、私的、”常識”への対応は、「Aさんはこういう考えをもっているんだー。Bさんはこうなんだー。」と割り切るが一番平和的で、私はそれで良いと思っている。

でも、これが職場ともなると、個人の常識+会社の常識ってなるからさらに厄介になる。

個人の常識はともかく、会社の常識はその会社にいる全員が知っていないといけないし、そう思わなくちゃいけないという暗黙のルールがある。私にはこれが一番しんどい、、、。

なぜかって私にはどーでもいいから。その一言。

上司が「この会社はこうやる」とか「こうするの当たり前でしょ?」的な言い方をする。やり方決まっているなら、マニュアルを事前に作っておいてほしい。

ただただ、そんなの当たり前でしょ?と言わんばかりに、口頭で言われてもって。

初耳ですとしか答えられない(笑

まったく、面倒くさい。。。

 

生きにくいなー。